悲しみの受け容れ方は、人それぞれだと思う。
一度そこから離れたり、逆に縋ったり。
私の場合は後者だった。
2月後半からはほとんどsumikaしか聴けなかった。(sumikaの歌詞はそこまで人の生死に言及しないからというのもあるかも)
過去の映像も写真も、何かを必死に探すように、狂ったように見返した。
何も聴く気になれない時も、それでも頭の中にはどうしたってギターヒーローのあの音が響いた。

この期間に、過去に自分が見送った人たちのことを考えていた。
すっと受け容れられたことも、悔しさで何日も泣いたことも、未だに理解できないこともある。
悲しかった時、どうしてきたかというのを思い出していた。
「忘れたい」と思ったことはなかった。
だから今でも悲しい、悔しいと思う。と同時に、楽しかった思い出もある。
その人たちのことを思って泣く時間こそ減ったけれど、感情は減るものではないんだなと思った。
きっと、隼ちゃんのことも同じように思い出しながら一緒に生きていくのだろう。

とか言いながら、演者のあげるハマスタ写真に見切れた(顔の見えない)プレイヤーが写っていると「あ、隼ちゃん!」などと思ってしまったので、まだまだ受け容れるには時間がかかりそう。

初めてライブを見たときの、「何あの楽しそうなプレイ!」という衝撃。
作る楽曲の幅広さ。
繊細なフレーズを弾くときの右頬。
MCで一生懸命伝えようと大きな身振り手振りでお話ししてくれる姿。
ほわほわオーラを出してると思ったらちゃんと核心をついてくるところ。(凡者の黒田隼之介の章と、いつかのSOLで”S”umika←に対して「そういうとこだよ(・ ◡ ・ )」とのツッコミがめちゃスキ)
片岡さんの下ネタに真っ先に乗っかるところ。

好きなところはいくら挙げてもキリがない。

sumikaを終わりたくなくて泣きそうになりながら制作するほど寂しがりのくせに、誰より先に一人で旅立ってしまった。
だから何度でも思い出して、何度でも聴いて、何度でも話そうと思う。

これまでは人が亡くなった後どうなるとか、どこへ行くとか、そういったことをあまり信じていなかった。
でも今は違う。
こうやって、人生観を揺るがすほどの悲しいことがまだまだこれからも起こると思う。
でも…まあ、あとは、キャプテンが全部ハマスタでお話してくれたね。(一生「お前ら!」って呼んでくれ!☺︎)
大きな悲しみがあるなら、それに負けないくらい大きな喜びや、これまでの卑屈な考えがひっくり返るほどの幸せもあるわけで。
生きていたから、こんなかっこいいバンドにも出会えた。

ツアー連番予定の子🔰を確実に沼に落とすためのプレイリストを作ったら、意図せず隼ちゃん作の曲が多めになってしまった。やっぱり作曲家・黒田隼之介が大好きだ。
2月24日からずっとずっと言えていない言葉の代わりに、「愛してるよ」。